『東京2020』
ただただ、誰の為?自分の為、なくせない場所をなくせやしないんだと誕生した『今』を切り取ったこのDVDが発売になってから、まだ1ヶ月も経っていないのですが、既に何ヵ月も日にちが経ったんじゃないかって位に髪の毛の如くじゃもじゃもじゃもじゃしている日々を送っております。
どうも、村男です。
もうね、凹んだり、作って良かったってなったり、凹んだり、「やっぱり作って良かった!」ってなったりの繰り返しです。
これを受け取って頂きたい村男を知らない皆様に、『綺麗事』だとか『偽善者』だと『売名行為』だとか言われるのは、元々想定はしていたし、気持ちを伝える為に使えるお金を大切の数で割ってお配りする雀の涙程度のカンパよりも、それを元に自分の音楽で作品を作って、お店をなくせないという同じ気持ちで繋がるファンの方とのカタチにかけたい、「なくせないものはなくせないんだよ!」という覚悟でおりましたが、
発信する人と受け取る人を『支える場所』
つまりは、なくしたくない大切な場所、お世話になった場所に対して、全く気持ちが伝わらない、伝えられない時は、もう本当にかなしくてかなしくていっそ消えてしまいたくなります。
自分の為、自分の大切をなくせないと考えた答えという名の作品ですが、やっぱり伝えられないってのには幾つかの原因があると考えました。『村男は説明が下手くそ』だとか、『村男は言葉足らず』だとか、『村男は喋りをいつもなっさん任せ』であるとか、『村男はそんなところもまた可愛らしい』等々、きっとそういった事が理由なんじゃないかなと思うたのですよね。。。
なので、
なぜこのDVDをつくる事になったのか、曲がらない為、変形しない為、折れない為に、しっかりとここにのこしておこうと思います!!!
今回、
『見えないおっかない恐怖』がやってきて、それと一緒に、もうひとつの『目に見えておっかない恐怖』がやってきました。
目に見えないおっかない恐怖の感染源として、ジムや屋形船、そして自分と繋がっている場所ライブハウス等が先ずは標的にされました。
東京オリンピックがまだ延期になっていない頃から、この空気はずっと続いてますが、
電車や新幹線や飛行機や船やコールセンターや保育園やオリンピックの身体が触れるスポーツやらは『必要』として、
『必ず要しない』もの達が生贄にされました。
いつもならば、
『大丈夫かもしれない』よりも、『もしかしたらもしかしたら危険かもしれない』を選びたい自分ですが、「責任ある行動を!」と誰かが責任を全て『僕ら』に丸々放り投げして、『僕ら』の心臓をバラバラに引き裂く状況は、本当耐えられなかった。
東京事変さんは叩かれ、
YOSHIKIさんは称賛され、
K-1は、、、
東京マラソンは、、、
数も基準も範囲も時期も保証も何もかもがないままに『責任』だけを押し付ける事が何よりの問題なのに。
それに、緊急事態宣言や他県異動禁止が解かれた『今』と、緊急事態宣言や他県移動が禁止される『前』と、何も違いはなくて、どちらも間違っていないのにも関わらず、沢山の人達が自分の足元以外の場所を『悪』としてしまう様な状況が、そこには用意されていて、
まるで『僕ら』をわざと戦わせて、おっかねぇ事に『僕ら』の数を減らしたいんじゃないのかってすら疑ってしまう様な悪夢の様な時期が永く永く続いております。
皆で見えない恐怖に立ち向かわなければいけない時なのに、、、。
問題から目を反らす為なのでしょうか、常に特定の職業という魔女が『僕ら』の中から選ばれ、吊るし上げられていきます。
パチンコ屋さんだったり、夜のお仕事だったりも。
「パチンコなんてしないし、夜のお仕事の場所行かないしなくなっても全く関係ないや!」
なんて、
問題はソコじゃないのに。パチンコ屋さんの、夜のお仕事のパパの給料でご飯を食べてるママや子供達が泣こうが喚こうが、それをテレビは一切報道せず、報道させようともせず、
ただただ「危険!」「危ない!」「迷惑!」とだけが広がっていくのでした。
まるで何かの病気の様に。。。
そりゃあ正直、
関係ない人は関係ないし、関係ない職種は関係ないですよ。
嫌いな人は嫌いですし、不要だと思っている職種についてはいらないと感じますよ。
でも、やっぱり関係あるんですよ僕ら。
繋がっているんですよ僕ら。
『いる』『いらない』の話は、別の機会にきちんと話し合いをしなきゃ駄目なんですよ。
僕にとっては、ペットショップも原発も基地も武器もいらないモノですが、じゃあソレによってご飯を食べれなくなる人はどうすればいいか?は同時考えなきゃいけない事だと思うのですよ。
だから、この時期に便乗していっそなくしてしまえって事ではない。
失業による混乱が溢れている『今』、いるいらないの『選別』を『以外』が一方的にやるべき時ではないと思うのです。
なくすならばなくすで、きちんと先ずは元に戻せるようまんまるい学校全体で力を合わせて、平常時に代替案や補償とセットで話し合いしてきちんと考えなきゃいけない事なんです僕ら。
それなのに、、、
あの時、
「え?ライブハウスまだやってんの?」
が、デスク越しに大量に座り話をする池袋の副業の職場からは聴こえてきて、自分が電車に乗ってやってきている事は『仕方ない事』と片付ける人が沢山おりました。
「え?電車に乗ってんの?」
と東京近郊から呟く人が沢山沢山おりました。
「え?東京なの?」
「え?外に買い物出掛けるの?」
もう、
うんざりする程、自分の足場以外を沢山の人達が『危険』一言で片付けてしまう恐怖、殺してしまう危険がソコにはありました。
見えない恐怖
未知の恐怖
人から人へと感染する恐怖
備えないより備えた方が絶対によくて、
出来るなら出来るだけ皆で家に入った方がいい。
でっかい台風がやってきたら入るでしょう。
ウィルスが燃えていて目に見えたなら入るでしょう。
でも、
家に入れない人達が外には沢山沢山いたのです。
目の前に倒れている人がいたら、
身近な人が倒れていたら、
皆絶対家に入れるようしなきゃってなると思う。
今回、
僕は大切な人達が家に入れずに取り残されたままでした。
自分と繋がる大切な大切な達が倒れて家に入れないままでした。
今でこそ色々と補償がされてきましたが、あの時は責任は各自に預けられ、全くの無責任で責任持った行動を呼び掛けるだけで、何もなかった。
何もないのに「皆に迷惑をかけるな!」と『だけ』誰かは言いました。
見捨てていい人なんていないのに、皆で家に入らなきゃいけない時なのに。
だから、
ソレをしない、してくれない、させようともしないなら、自粛出来る人達で自粛出来るようする為の窓口をつくろう!皆で協力しようよ!
と、Facebookで呼び掛けました。
現状の自分なんかより、全然声にマイクが入っている前澤さん?や孫さん?にお願いもしてみたりしました。
でも、知り合いじゃないから届かない。
本当に改めて無力は罪なんだと確信しました。
じゃあ、
自分でやれる事をやろうと思ったんです。
せめて、自分がお世話になったお店、なくせない場所だけはなくせないって気持ちを伝えなきゃいけないって。
今回自分のFacebookの連日に及ぶ呼び掛けで、不快にさせてしまった大切な人達がいて、その人達が大切だからFacebookは最後のお願いをのこして投稿する事をやめる事にしました。
選んで来て頂けるこのホームページに投稿の場所をうつす事にしました。
自分に力があればもっと別にやり方があった筈。
もっともっと皆を笑顔に出来る筈。
でもあんまり頭も良くないし、お金も持っていないし、考えついたのが自分を知らなくとも同じく自分の大切な場所をなくせないと思っていらっしゃる方と協力して大切な場所に気持ちを伝える『東京2020』なのですよ。
だから、村男のCD『END』や『⚪』の様に、付き合いで買って頂くよりも、本当に聴いて頂ける方に受け取って頂きたいという気持ちじゃなく、買って頂きたい。
大切なお店に気持ちを伝える手段のひとつとして受け取って頂きたい。
勿論、
『今』を『全て』詰め込んだDVDなので、みて頂けたら後悔させやしない世界一の音楽が詰まった作品になっております。
でも、
『東京2020』は、村男をみて頂きたいのが第一じゃない。
アイテムとして受け取って頂くだけでも充分に幸せなのです。
それに、
村男は嫌いだからソレには協力したくないと別の『カタチ』で大切な場所に気持ちを届ける方がいたなら、それはそれで嬉しいと思えるんですよ。
この作品が生まれてきた意味がソコにある。
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まひん (土曜日, 27 6月 2020 12:35)
カテゴリとは、その記事がどんな分類か分ける時に使います。たとえばその日のライブについて何か書いた記事があったとして【カテゴリ:ライブ】としておけば、ライブについて書いた記事を後で検索しやすかったりします。別に使わなくても大丈夫ですし。
村男 (土曜日, 27 6月 2020 12:57)
まひんさん、ありがとうございます✨そうなんですね!ではカテゴリーが全て『LIFE』だったら全て出てくる訳ですね
( ´×`)よくわかりました!!!