ドクターキリコ




安楽死の事件が流れてきた。


安楽死のニュースをみて、


「お金が目当ての事件かな。」


「安楽死って言ってたって、殺しは殺しで駄目でしょ。」


と簡単に片付けた。






一度は整理整頓したつもりになったものの、やっぱりその話をもう一度ちゃんと引っ張り出してみることにした。




そうだよな。


そうなんだよな。





人生をボタンひとつでファミコンみたいに終わらせる事が出来ていたなら、きっとこの世界には生まれていないモノだらけなんだよなきっと。。。




『駄目』だよな。




でも、


『駄目だけ』じゃもっと駄目だよな。




全ての難病の人や重症の人や心の病を抱えた人達の人生がひとつひとつ違うから皆って訳にはいかないんだけれど、少なくとも「リセットボタンを押したい!」って考えにさせない為に、僕らはやれること全部もうやりつくしたのかな?


相手の立場になって相手の気持ちを考えるなんて絶対に出来やしないんだけど、


相手の事が心配で相手の気持ちを考えたいって想像する事は出来るんだもんな。






「それは、どちらも正解で難しい問題です。」






と、終わらせる事が定型文になっているお話なんだろうけど、やっぱり違いますよ僕ら。





人殺しは駄目。


例え自分であっても駄目。




病気を抱えての事であろうと、


爆弾を抱えての状況だろうと、


どんな理由があっても駄目なものは駄目。





でも、


「なんでそんな気持ちになっているのだろう?」


「どうやったら心を変えてあげられるだろう?」


を、きちんと僕らは逃げずに考えなくちゃいけない。




解決出来ないかもしれない。


何も変わらないかもしれない。


でも、


「変わらない。」だけじゃ変わらない。


「変えられやしない。」だけじゃ変えられる筈なんてない。








そう、


僕らはまんまるい学校の同じ生徒。


皆が辞めて誰もいなくなってしまったら寂しいもの。




どうせなら、


通うのが毎日楽しみな気持ちがよい学校にしたいな。



『次に僕が困った時、どうか話だけでもきいてやって欲しいんだ。』

もしかしたら断るかもしれないのだけれども、きっとただソレだけの事なんだよな。